2005年07月07日

庭と窓辺

あくまで僕自身の記憶に残っている風景に限っての話です。

周りが壁でぐるりと囲まれ24時間警備である築浅の集合住宅の庭はイギリス風に(?)トピアリーみたいな刈込をした木々に、秩序だった形で花の種類も一定に植栽が行われていて、いわゆるデザイナーというかプランナーの関わった仕事であることは一目瞭然です。整然と並ぶ木々、きちんと手入れされている植え込みの中のパンジーやマリーゴールドが敷地内を通る石畳風の通路とあいまって、一瞬「ここはどこ?」と思えてしまうような空間です。ちなみにその手の住宅には大雑把に言うと裕福な現地人と外国人が住んでいます。

一方、僕も住んでいたようなイスタンブル市内のごく一般的なアパートの庭はどうなっているでしょうか。もちろん千差万別で一概には言えませんが、イメージとしてはちょっと広めであれば芝生になっていて、植えてある植物や植え方は「散らばった感じ」です。例えば真ん中左寄りに黄色いバラの木が、右寄りにはピンクのバラが植えてあります。どちらも丈は高めで1.5mくらい、花は大輪。建物のほうにクロトンのような低木が数本。塀のところにピラカンサがもわ〜っと立ち茂っている・・・・など。

もっとも庭弄りの好きな人が住んでいれば苺やきゅうりを植えていることもあり、偶然花の季節に通りかかったのですが端から端まで白いカラーを植えてあるアパートも見たことがあります。

窓の外にはプランターやサラダオイルの空き缶と思しきものに白や赤のゼラニウムが満開!という光景をよく見かけます。あれは丈夫で育てやすいのでしょうか。同じ窓辺でも室内に置いてあるのは場所を選ぶから難しいと言われつつもセントポーリアが多いというのが私見です。

今日の花談義はこれくらいで。
posted by ムフテリフ at 21:30| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月05日

イスタンブル 花にまつわること

どうしても長くなるなぁ・・・

● 花屋
地区によってもちろん差はありますが花屋の数はかなり多く、大小取り混ぜ店を見つけること自体は楽です。日本に比べると観葉植物やセントポーリアなど鉢物の占有率が多いです。

花屋以外にも道端で花を売っているジプシーのおばちゃんやお姉ちゃんも多く、入荷したばかりならば彼女たちのところでも割ときれいでしっかりした花が手に入ります。むしろ彼女たちのほうが切花だけを扱っているためか旬を感じさせる品揃えをしているようにも見えます。春先のアネモネ、ラナンキュラス(これは日持ちする!)、フリージア、チューリップ、夏場にかけてリシアンサス、秋は菊系の派生などなど。ただし極細の糸でぎゅ〜っと閉めて束ねているので花がかわいそう・・・。

● 花の種類
どの店でも通年バラ、ガーベラ、カーネーションは手に入るので、僕はこれを勝手に「トルコ切花界の三種の神器」と呼んでいました。国内の産地は地中海やエーゲ海地方だと聞いたことがあります。中でもウスパルタという街はバラとバラ水で有名だとか。

それ以外にもストック、百合(カサブランカ、ピンク系で匂うもの、黄色で匂わないもの)、スターチスやカスミソウの類、マーガレットなどは広く見られます。洋蘭はオランダ辺りからの輸入が多いと聞きましたが、値段が日本並みなので、トルコの物価を考えると異様に高いです。アレンジものでは派手なストレリチアやアンセリュームもよく見かけます。

● 花が売れる日
バレンタインデーにバラ、母の日にカーネーションは定番ですね。それから11月後半に「先生の日」というものがあり、その日には花を先生にプレゼントする子供たちの映像がよくテレビに出ます。クリスマスと先後して年末にはナンテンだかヒイラギみたいな赤い実がポンポン状でついている枝ものが出回ります。それ以外にも戦勝記念日や墓参でお花を手向けるのは日本もトルコも共通しています。

● 花輪
あちらのものは木をモチーフにした形です。大雑把にいうと根元にグリーンを植込み、その上に花をぱらぱら散らします。幹の部分は確か角材で裸だったように思います。枝葉の部分は上下に長い楕円のベースの上にグリーンと散らし花で飾り、最後に「xx会社」など名前入りの帯を斜めにかけて出来上がりです。結婚式や開店祝いにはこれがずらりと並ぶのです。(個人的には日本のものもトルコのものも、花輪はどう見ても冴えないなぁと思います。)

余談ながら・・・
posted by ムフテリフ at 09:59| 東京 ☔| Comment(3) | TrackBack(1) | トルコ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月04日

イスタンブル 通勤

朝の通勤時間帯に、そこらじゅうの路地と大通りの角に立っている人達は一体何者でしょう?答えは「通勤バスを待っている会社勤めの人達」です。

企業が従業員の通勤用にバス会社と契約してバスを必要台数用立てます。バスは基本的に大通りを経由して一定時刻に定められたルートを通り朝晩従業員を拾い下ろしていきます。大量輸送に適した公共交通手段が十分ではないこともあり、その反面(?)そうしたバス会社は大小取り混ぜたくさん存在するのでこういう状況になるのでしょう。

断っておきますが、こうした通勤バスではなく他の交通手段で通勤する人達ももちろん大勢いますので、念のため。

バスに乗る従業員の立場で行くと、その通勤バスに乗り遅れたら、後は自分で他の交通手段で勤め先に辿り着くしかありません。従い勤め先が町外れとか交通手段のない丘のてっぺんにある場合、バスに乗り遅れると一大事です。朝からアポイントで来客があるような日に限って、僕はバスに乗り遅れてタクシーで飛んでいったことが何度かあります。

さて、その通勤バスはどんなものでしょうか。依頼する企業の施策やバス会社の持ってるフリート次第ですが、シートからばねがビヨ〜ンと飛び出てきそうなおんぼろもあれば、DVD付きリクライニングシートの新型快適車両もあり、色々です。

その反面まず確実に(少なくとも僕の知る限り)言えることは、「立ち乗りはない」のです。忙しい朝でも乗ってしまえば朝寝の続きをしても、本や新聞を読んでも、同僚とおしゃべりにふけってもよいのです。東京の通勤電車を知る僕は、どんなぼろバスが来てもありがたがっていたので、トルコ人の同僚は不思議そうにしていました。大きめの企業だと台数も増えるためか、この通勤バスが従業員の不満や苦情の原因になることが多々あるようです。

毎朝各々座って通勤なんて、グリーン席か新幹線通勤でもなければできないじゃありませんか。この点、トルコの勤め人は恵まれていると思ったこともあります。もちろん通勤バスだけを取上げて恵まれているかどうかを議論してはいけませんが・・・。
posted by ムフテリフ at 17:55| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月03日

国勢調査、総選挙

これは僕が実際に経験した事実です。

まずは概略。

● 国勢調査
97年11月末の日曜日に行われました。
一軒ずつ調査員が回って住民を「数える」ため、その日は在留外国人も含めて外出禁止になりました。
僕のところへは二人来て、台帳に記入して帰っていきました。
家に閉じ込められていたのに、何らかの理由で調査員が来なくて、後から申し出をしていた人達が多数いたと報じられました。
トルコらしいなと思った出来事のひとつです。

● 総選挙
年が明けて98年4月だったと思いますが、総選挙がありました。
国勢調査時にまとめられた有権者台帳に基づいて投票案内が送られた模様です。
投票に行かないと罰金だというお触れが出ていたせいもあってか、投票率は日本のそれよりもはるかに高いものでした。

さて、この国勢調査と総選挙で僕の身に起こったこととは・・・・・
posted by ムフテリフ at 18:55| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | トルコ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロシア風マカロニ

イスタンブルで知り合ったウイグル系トルコ人の友達が教えてくれた簡単レシピです。これがなぜロシア風なのかは分からないのですが、ポイントはマカロニをゆでなくていい、トマトの水分で調理するということでしょう。僕は目分量でしかやらないので、材料の量についてはお試しの際にご調整下さい。

基本編
● 材料
マカロニ150grくらい
>蝶々タイプ、おひねりタイプなどが調理の速さではおすすめ
トマト2個くらい
ミックスベジタブル適量
オリーブオイル適量
塩、胡椒

● 作り方
1 トマトを湯剥きしてさいのめに切る
2 温めたテフロン鍋にオリーブオイル適量をなじませる
3 その上にマカロニをゆでずにそのままばらばらと入れる
4 さいのめに切ったトマトをマカロニの上に均等に散らし、塩・胡椒をふる。
5 ふたをして時々鍋を揺すりながら強めの弱火(なんのこっちゃ!)で調理する
6 鍋を揺すってもマカロニの乾いたカラカラ音がしなくなったら火を止める
7 2分ほど蒸らして出来上がり

応用編
● 材料
基本編に玉ねぎ、挽肉或いはツナ缶を加える

● 作り方
基本編の2に続いて玉ねぎと挽肉を炒める
3以降同じ

● 備考
ツナ缶は炒めると魚臭くて嫌だ!という場合、蒸らしあがった後で混ぜ込んでもいいでしょう。僕はそうしています。

posted by ムフテリフ at 11:28| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(1) | トルコ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月01日

イスタンブル デノミの後

ハイパーインフレで最高額紙幣は2千万(20,000,000)リラ、ひと月の家賃は億単位、月給は(格差が大きいので僕の周りで聞こえてきたところをえいやっと平均すると)10億単位という生活も今年の年明けと共にデノミでゼロが6個消え去り、見やすい数えやすいものになりました。

新しい通貨はYTL(新トルコリラ)、尚1リラ=100クルシュになる計算で1リラ以下の補助通貨はYKr(新クルシュ)です。新通貨についての詳細はトルコ政府筋のHPより、http://www.ytl.gen.tr/ytl/index_eng.php をご参照されるとよいでしょう。 

前回挙げた価格・料金例も今は次のとおりです。
       0.30 パン(トルコバゲット)一本
       1 市バス乗車券一枚
      500 僕が最後に住んでいたアパートの家賃月額
     1,360 去年あたり千ドルを両替した時のトルコリラ相当額面
     30,000 小型乗用車の新車の値段
114,000 イスタンブル市内の某中古物件(120m2日本の3LDK?)の価格(昨年末)

YTLに切り替わって何が変わったでしょうか? 上記中央銀行のHPにもあるように、まずゼロが6個消えた新しいYTL札と補助通貨YKrの硬貨が登場。大晦日の夜全国でATMやクレジットカードの読み取り機などの調整作業が行われ(従い真夜中にしばらく支払い・回収業務が止まったということは当然あっても)、元旦から何の混乱もなくYTLが導入され金融システムは稼動しています。

とはいえ今年は旧TLとYTLが併用されているので、ATMで現金を下ろすとゼロなしの新札とゼロの多い旧札が両方出てきます。例えば50リラ下ろすと、10リラ新札が3枚、1000万リラ旧札が2枚出てきたりします。マーケットでの価格表示は以前のTLと今のYTLが併記されています。

変わった点はコンピュータシステムや経理処理でしょう。向こうで勤めた職場が8年ほど前に立上げの時、現地の経理がコンピュータシステムは最低14桁対応にするよう要望していましたが、それもインフレ環境下ならではの話です。どこの会社の情報処理部も昨年後半はYTL対応に追われていたようです。経理で出張精算などすると出納係が「89,755,000TL(以下アルファベットで同額文字書き)受領しました。」などと帳票を長々と書いていたのが、今年からは「89,76」で済みます。

インターネットバンキングでも大晦日まではゼロがいっぱいの億単位の口座残高が一夜にして百やら千やらの単位に繰り下げになっているのを見るのは、不思議な感覚でした。損失はないのだけれど、なんだか一気に貧乏になったような感じとでもいいましょうか。

日本でも最近新札が出ましたが、いまだに新札未対応の券売機などがあるのにはちょっと驚きです。別に1000万が10円に換わったわけでもないのに。とはいえ、偽札識別などきっと技術的な問題で一律切替ができない事情があるのでしょう。

見やすい、数えやすいとは「理論上」の話で、20年以上も続いたインフレ環境の習慣からはなかなか脱却できない部分もあるようです。例えば、車の価格は昨年まで30ビリオン(300億)だったので、口ではトルコ語で30ミリヤールと言うのに慣れているわけです。それが今年からトルコ語で30ビン(3万)なので、どうしても30ミリヤールと口をついて出てしまうのです。不動産の話でも同様で、一度旧リラで100億単位で数えた後YTLに言い換えていたのが3月の時点の話です。スーパーへ買い物へ行けばレジのお兄ちゃんが「8ミリオン」と言うので、「8リラでしょ!」と突っ込んでやったり、話者の一方はミリオンで通して他方は新リラで通していることもありました。

逆に何年も前からバザールの行商人や商店主の中には、とっくにミリオンを捨てて5リラなどと言っていた例もあります。

会話でのYTL定着にどれだけ時間がかかるのかと考えたりもしますが、ある意味とっても柔軟な人達のこと、それほど時間はかからないのではないかと個人的には思います。中途半端にインフレ環境で過ごして帰国した僕のほうこそ、次に行ったときにかつての習慣でミリオンだのミリヤールだのと言っては笑われるのかもしれません。
posted by ムフテリフ at 09:36| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月25日

ハイパーインフレ

選挙の遊説みたいだが、生活者の視点で実体験を交えつつつづってみたい。

ハイパーインフレ
僕がトルコへ行った95年頃はインフレが一番ひどい頃だった。年間の消費者物価指数が100%超にも達するというのが「当然」だった。分かりやすくインフレ率が年間100%だとしよう。市バスの乗車券一枚が今年の年明けに10,000リラだとすると年末には20,000リラになる計算だ。

ものの値段はがんがん上がる、では庶民のお財布はどうか、つまり給料はインフレに並行して上がっていくのか。問題はここだ。大手企業であれば大抵インフレに並行して給料の額面も上がって行きインフレに負けてしまうことはまずなくても、現地の中小企業だとそこまでできない企業も多かったようで、よく給料の一部がもらえないとか、一部を翌月もらったとかいう話を耳にした。

当時は金利も異様に:)高かったので、ちょこっとオーバーナイト(レポ)や外貨預金に回せばけっこうな利ざやが得られるご時勢だった。銀行の公表金利がそうだったから、外貨預金で年利10%くらい付くのは当たり前だった。

トルコに旅行した方ならお分かりだろうが、とにかくトルコリラはゼロが多すぎて初めてでは支払いも何もままならない。
    300,000 パン(トルコバゲット)一本
   1,000,000 市バス乗車券一枚
  500,000,000 僕が最後に住んでいたアパートの家賃月額
 1,360,000,000 去年あたり千ドルを両替した時のトルコリラ相当額面
30,000,000,000 小型乗用車の新車の値段
114,000,000,000 イスタンブル市内の某中古物件(120m2日本の3LDK?)の価格(昨年末)

日常生活が百万(ミリオン)単位だった。日本語ではその上が一千万、一億と位取りが変わって言い換えるのが面倒なためか、現地の日本人はおしなべてミリオンを使い会話でも、「8千万した」ではなく、「80ミリオンした」で通用していた。「家賃はおいくら?」「先月から500ミリオンになったよ。」(5億になったよ、とは言わない。)・・・という調子なので、イスタンブルでは誰でもごく当然に億万長者のような会話をしていた。車が300億リラですからねぇ。

もっとも、ここ2年ほど抑制策によってインフレは年間10%ほどまでに下がってきているが、インフレがおさまってくると、「給料が増えなくなる」と心配している人に少なからず遭ったものだった。「こんな状況のほうが異常!」と返答をしつつも、「もしインフレが再燃して給料があがらなかったらどうしよう?」という不安にかられるのは分からないでもなかった。

それもこれも今となっては昔の話。今年からトルコリラのデノミが実施されて、眼の回るような価格・料金表示からゼロが6個なくなった。僕が帰国する今年の春までの、「イスタンブル、デノミの後」の状況を次のブログで書いてみようと思う。
posted by ムフテリフ at 21:23| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | トルコ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月18日

イスタンブル OGS(トルコ版ETC)

今日は料金所自動通過装置(OGS: Otomatik Gecis Sistemi)の話。

現地ではオーゲーセーと呼ばれ、日本よりも随分早く、少なくとも7年前には導入されていて、ボスポラス海峡にかかる二つの橋と国内の高速道路(全線ではないが)で利用できる。

道路公団のOGS販売所へ行き申込み、合わせて某銀行に料金引落用の口座を開設しある程度の入金をする。理屈としては車のプレートナンバー、車に取り付けるOGSのユニット、車の保有者、保有者の銀行口座がセットになって管理されている(もっとも、実際の運用面では要するにお金が払えるように残高があればいいのだ、ユニットを他の車で使ってもいいのだという話もあるが・・・)。

申し込みが済むと携帯電話の3分の2くらいのサイズのOGSユニットをもらい、それをフロントガラスに貼り付ける。あとは料金所を通過するごとに料金が自動的に口座から引き落とされるので、口座残高が減ってきたら適宜入金する。

料金所通過時には減速するのが決まりとはいえ、大抵は60km以上くらいのスピードで通り抜ける。装置を通過する瞬間、違反者摘発用に照らされている強烈な照明に眼がくらむのと共にOGSユニットからピーという料金徴収の確認音が出ればOK。かくして、料金所で停車する、そこで渋滞が発生するという図式は見られない。渋滞が激しいふたつの大橋にある料金所を取ってみると、OGS無搭載車は料金所を先頭に停車して列をなしている。OGSの普及率がどれだけのものか知らないが、あの行列を尻目に快走できるのは爽快でもある。

ところで、海峡にかかる二つの大橋を通過する際には欧州側からアジア側に行くときに通行料がかかり、逆方向ではかからない仕組みになっている。続き・・・
posted by ムフテリフ at 10:27| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | トルコ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月14日

イスタンブル AKBIL

最近のガイドブックには掲載されているかもしれないが、日本のSUICAのような使い方ができてイスタンブル市内全域で使えるチャージ式のアクビル(Akbil)というものがある。7,8年前にデビューしたのだっただろうか、今では主なバス停などで売っている。

初めにデポジット的に若干お金を払いAKBILを手にした後は、残高が減ってきたら随時お金を払い窓口或いは自動支払機?でチャージしてもらう。

形と大きさは丁度親指に沿う小さな「お玉」のような感じで、キーホルダーに付けられるように小さい輪がついている。一見、おもちゃのようでもある。

市バス
路面電車
地下鉄
ボスポラス海峡を渡るはしけ
高速艇
国鉄のイスタンブル市内区間

と、今年3月に僕が帰国する時点でこれだけの乗り物にAKBILで乗れた。AKBILがある程度チャージしてあれば、後は乗車時に改札や乗降口備え付けの装置でピッとやるだけで、至って便利。料金も通常の乗車券や料金に比べるとAKBILは一割引(のはず)。

難点はバスの路線や交通事情が分からないと使いにくいことだろうか。従い、旅行者にはあまり役に立たないかもしれないと僕は思う。だけど、もしあの街に住むならAKBILをお勧めする。別に市の交通局の宣伝をするわけではないが、車のない生活には必需品と言える。

残高が減ってきたら自動支払機でチャージができると書いた。一度僕は故障した機械に知らずにお金を入れたもののAKBILがチャージされずに800円ほど損したことがあった。同じ経験を持つ友人によると苦情申し立てをしたら、その分現金の払い戻しを受けたそうだが、僕はそこまでしなかった。その事件以来、AKBILのチャージは有人の窓口でしている。
posted by ムフテリフ at 21:05| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | トルコ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月11日

イスタンブル 湿度

正直なところ、イスタンブルで湿度を計ったことはない。だけど、日本より湿度が低いのは身体で分かる。

トルコの人は、「イスタンブルの夏はベダベタする。息もできない。」とよく言う。確かに近年は以前(10年前)に比べると夏場の湿度が上がっているような感じはするし、寝苦しい夜も増えたが、それでもまだ日本に比べればどうってこともない。カラッとしていて日本よりずっと過ごしやすい。

「こんなの湿度のうちには入らない。日本では気温ももっと高いし、湿度だってあんたらが知っているようなもんじゃないんだから・・・ここで息もできないんだったら、日本へ行ったら死ぬしかないよ。」と、僕は親しい人にはジョブをお見舞いするのが常だった。

反論?が、「そうか。それなら日本の夏はアンタリヤ(トルコ地中海地方の都市でリゾート化が進んでいる)みたいなもんだ。」というパターンも多い。
「いや、アンタリヤはまだましだよ。」と、こと湿度に関して僕はトルコの人達に「トルコの方がすごい」とは言わせたくない一心で、妙に力説してしまう。
「東京でなんか、湿気が見える日があるよ。」この季節、都心を歩いていると霧雨ではないのに空気中に湿度の微粒子が漂っているような日があるのを思い出して言うのだ。

一方冬場のイスタンブルは雨季で寒い日も続き、室内はラジエータパネルの暖房で空気が暖かく乾ききっている。喉をやられる人が多いのはこのせいだし、僕は眼が乾いてしまうので暖房をごく弱めにしておくのが習慣だった。

さて、夏はカラッと冬はカラカラ、そんなイスタンブルに10年も滞在した僕に起こった変化は・・・
笑うと目じりにやたらにたくさんのしわ
皮膚のキメが荒くなった

いくら三十路半ばとはいえ、日本にずっといる友人を見るとここまでの人はいない。この変化はきっとトルコ滞在の副産物に違いない。
posted by ムフテリフ at 01:32| Comment(2) | TrackBack(0) | トルコ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月09日

イスタンブル ボスポラス海峡

初めに断っておかないといけない。トルコ回想録といっても、それはイスタンブル回想録と言ったほうが実情に近い。それは足掛け10年のほとんどを過ごした街がイスタンブルであり、イスタンブルの様相がやはりトルコの他の都市とは明らかに一線を画しているから。

ボスポラス海峡を挟んで小アジアの西端と欧州側トラキヤの東端にまたがる地理的条件はそれだけで十分惹かれるものがある。生活者の視点では橋を渡るだけで一時間以上もかかる朝晩の渋滞には閉口するけど、海峡にかかる橋を通る市バスの中で、渋滞を解消できない行政に文句を言う人がいても、その言葉の裏には欧亜両大陸にまたがり海峡を挟んで存在するこの街を誇りに思う人々の思いがあるように感じられる。なんというか、一種のお国自慢。

海があれば船があり、海峡を渡る高速艇や「はしけ」は街の立派な交通手段。一年で一番心地よい今の季節なら、はしけのオープンデッキに座っての通勤で毎日海峡の風景を眺める贅沢が味わえる。ただし海上交通の難点は霧が発生したり強風のために船が欠航してしまうこと。僕は長いことアジア側に住んだが、よく晴れたある日欧州側にある空港へ昼間行くのに高速艇乗り場へ行ったら予期せぬ展開で、強風で欠航。だが、慌てず騒がず。乗合タクシー的なものがあり、同じ状況下にある人達と同乗して空港まで行ったのだった。

ボスポラスと言えば海峡沿いのレストラン。サマータイムで夜9時近くまで明るい夏の夕暮れ、海とボスポラス大橋を眺めつつ、気の置けない仲間と共に会話と食事を楽しむのはイスタンブルならでは。太陽が橋のそのまた向こうの欧州側の稜線に沈むと柔らかい灯の色が浮かび上がり、風景は落ち着いた夜景に変わっていき、その頃には食後のチャイやトルココーヒーを楽しむ・・・そんな夏の夕方の過ごし方が懐かしい。

所得格差の激しいご当地では、海沿いのレストランで食事をする経済的な余裕のない人達も多く、夏場は海沿いの公園にコンロ持込でピクニックをしたりという光景もよく見かける。また、お金の有無にかかわらず、天候が穏やかな春先や秋口に海沿いをそぞろ歩くのも悪くない。

トルコへ行ったばかりの頃、しばらくアナトリア地方の街に住んでいた時期があった。そこを引上げて再度イスタンブルに戻った時、ボスポラスを見て、「イスタンブルへ帰ってきた!」と実感したのだった。イスタンブルの人は「海がないところには暮らせない」とよく言うけど、ボスポラスを眺めているとその感覚は素直に納得できる。

今回の帰国前、最後に見納めしたいと思ったのもボスポラスだった。ボスポラス以外にも、お世話になった友人知人、住居、食べ物、職場など想い出は数え切れないほどあるけど、そうした思い出をすべてひっくるめて10年間を振り返ると、その象徴となるのはやはりボスポラス海峡なのだ。

そして今は
コンクリートの護岸と汚れた都会の川面を眺め
トルコで過ごしたあの日々は夢だったか・・・
と、帰国リハビリに励む毎日。
posted by ムフテリフ at 21:45| Comment(2) | TrackBack(2) | トルコ回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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